30代後半。結婚したのは12年ほど前。子供を産まない選択をした、とも取れるし、子供は望めなかった、とも取れる少し複雑な背景がある。別に隠すことでもないけれど、今日はその辺の経緯は省略するとして、二人で生きていくことを決めた我が家に、種族の違う家族が増えて3年が経つ。
わたしも夫も実家で猫と生活していたので勝手はわかっていたものの、20年ぶりの猫との暮らしはやはり素晴らしいものだった。
言葉は絶対通じているはずなのに露骨に聞こえないフリをしたり、自分の主張が通らなくて物に当たったり、あんなに撫でろと言ってきたくせに、途中で嫌になって爪を立てたり。ひっくり返って白目で寝ていて飼い主を驚かせたり、何度ダメと言われてもテーブルに登っては飼い主の食事を間近で監視したり、どこにもいなくて探し回ったら、冷蔵庫の上に鎮座してこちらをじっと見ていたり。いつだって自由で、崇高で、それでいて可愛くて、おもろしくて愛おしい。これこそが猫である。
それなのに、熱を出した日は毛布にくるまるわたしから離れずにずっと傍にいてくれた。明日が怖くて眠れない夜には、わたしのベッドに飛び乗り、大きな尻尾を揺らしながら一緒に朝がくるのを待ってくれた。自分勝手に生きているようで、猫は思ったよりも慈愛に満ちている。
こういった猫との日々をこれまでは夫とわたしの二人だけで大切に、それはもう宝物のように心のなかにしまっておいたのだけれど、この度書き残していくことに決めた。数年二匹と暮らしてみて、「この愛おしさや愛らしさを二人だけにとどめておくのってこの世の損失じゃない?」なんて親バカ全開なことを思ったのと、歳を重ねて忘れっぽくなってしまった自分が、ちゃんと二匹がいたこと、愛していたこと、愛してくれていたこと、毛の柔らかさ、ふわりと香る香ばしい肉球の香り、笑ったこと、泣いたこと、かけがえのない日々の全てを忘れたくなかったから。
わたしは実家の猫が逝く瞬間には立ち会えなかったけれど、空に帰っていく瞬間には立ち会った。そもそも、彼が天にのぼってゆく前は何度も何度も病院に連れて行ったし、少しずつ食べられなくなっていく彼を前に、食べられそうなフードを探し回ったことも、思い通りに動けなくなった彼が心配で、彼の隣で仕事をしたこともある。
だから知っている。
この暮らしにも、いつか必ず終わりがくる。
猫の日。
世界中の猫が幸せにという思いは耐えずとも、それをするための手や足、
財力が足りないから、最低限、いまわたしの手の届く範囲にいてくれる二匹だけは、全てをかけて幸せにすると決めている。二匹を選んだのは誰でもないわたしだから。
お腹すいたよってこれからもずっと言えるように、
お水欲しいよってこれからもずっと言えるように、
あったかいベッドでお腹をだして眠れるように、
涼しいお部屋で好きなだけ窓の外を眺められるように。
だから、今日はまず、家中を掃除することから始めた。
二つある大きなゲージはネジを外し、一度解体して全部を拭きあげた。自分の匂いがついていなくても良いから綺麗にしておいてほしい派の二匹なので、猫用トイレも水洗いして綺麗にした。キャットタワーや猫用のハンモック、おもちゃなどにくっついている毛は取っても取ってもキリがないけれど、飲んでしまわないようにできる限り取る。さっき取り替えた水ももう一度綺麗にする。
そうしたら空気の入れ替えに窓を開ける。万が一がないように、我が家では窓を開ける際は人間が窓の前に立つことを決まりとしており、今日も体が冷えるのなんてお構いなしに窓の前で猫の動向を見つめた。窓の外に興味津々な猫たちは、人間の体越しに外の匂いを嗅いでは目を細めていた。
この日常を、愛している。
愛しているからこそ、居なくなった日のことを考えてしまう。
二匹も、少しずつ体が思うように動かなくなって今と同じだけのご飯やおやつが食べられなくなっていくかもしれない。そもそも昨日と同じ今日が、同じだけ繰り返されるかもわからない。結局AIが発展したって、逃げられない別れがいつくるかなんてわからないのだ。
だからこそ、二匹の最期のその日、「人間と暮らすのも案外悪くなかったなあ」って、「また会ってやってもいいかもな」って心から思ってもらえるように、甘やかしていると言われようとも私はひたむきに二匹を愛し続ける。
これからもずっと、
二匹がこの世を去る日まで。
猫の日、決意の日。
